会報 NO 21.平成12年9月1日発行

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介護講習会開催される
◎重症心身障害児・者の介護の基本と応用
食べることが困難な人への援助
御報告(記念講演会) 平成12年度総会...施設の新たな展開...小澤先生のお話から
共に生きる子の思い・親の思い(会員の声)
医療費助成は命の綱....松田 薫
福祉と教育と医療....向井 裕子
大阪市だより
重症心身障害児・者の暮らしのあり方と現状について考える研修会
第1回 研修会報告 テーマ「重症心身障害児・者への生活支援の実践を通じて」
         「温かい思いが、成せる業」...田所 千景
第2回 研修会報告 テーマ「重症心身障害児・者への生活とパートナーとしての医療」
         「暮らし(人生・生命)が第1」...江藤 信子
         「生活を支える応援団として」...吉村 志津子
強度行動障害部会より
行動障害に対する施設での取り組みについて」を拝聴させていただいて...佐野 正博

お知らせ...大阪に2つ目の「重症心身障害児施設」が建築中
いろいろな人と出会いました....今井 清行


1.介護講習会開催される
 講師 岸本姿勢センター 代表 岸本 眞 先生
 
テーマ  重症心身障害児・者の介護の基本と応用 

 七月一日、二日両日、「長居障害者スポーツセンター」に於いて「介護講習会」(ステツプアツプコース)が実施されました。岸本先生の障害児・者に対する造詣の深さとパワフルさに圧倒されながらも、皆さんが真摯に学ぼうとされる姿がとても爽やかな二日間でした.

◎正しい状態の中の落とし穴
 
普段何気なくというか「いいろう」と思っている介護や援助のあり方を考えさせられました。「その人の立場になって」と常に考えているつもりでも、それが本当にその人の快の状態につながっているのか、一つ一つをじっくり見つめなおしてみたいと思います。今日、頭がガーンとなったのは、 安定な、おさまりのよい状態を作っていくことは正しいが、そこに落とし穴があるという話でした。この辺ももう少し詳しくわかりたいなと思います.
 自分の中でかみ砕いて理解できていないからですが、「不安定な状態」の必要性があるということになるのでしょうか?

  あと、呼吸の重要性についても吸引、胃ろ
うなど日常的に行っている中で、もっと深めていかなけれぱいけないことだと思いました。(感想)

◎支援の輪の広がりを
 
んなにも一生懸命に"あの子達"の輝ける人生、命を考えてくれている人達がいるという思いで胸がいっぱいになりました。
   感謝、感激の思いです。ありがとうございます。他のお母さん方にもこの講習会で感じた一体感を是非話していきたいと思います。
少しは母親達の孤独感もいやされる、そんな気がします。
 ”座る”ということが自分達が想像する以上にあの子達の人生を豊かにすることも分かり、シーティングという便利なものも考えられ作られているんだということも知りました。出来ることならもう少し早く教えてもらうチャンスが欲しかった…。
 以前学校で登校時から下校時までずっとパルスの数字に振り回されている先生方を見て、少し批判的になつていたのですが、熱意だけでは長続きしないという岸本先生の言葉、いろんな意味で重く受けとめたいと思います。
 最後に、このような講習会をいろんな立場の人に受講してほしい、そして子供達の支援の輪が広がってほしいと思います。(感想)


岸本先生のコメント

 安定して収まりがいい状態は、好ましいことに違いありません。しかし「いい状態だからそうする」という発想が独善的になると、時として「いつもそうでなくてはならない」という固定観念と習慣に縛られ、結果的に
「それしかだめ」という思い込みに陥ってしまうことに気をつけてほしいということを言いたかったのですが、説明が足りませんでした。私も至らなさに頭がガーンとなりました。



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記念講演会から(平成十二年度総会)

重症心身障害児・者の地域生活支援を考える
一施設の新たな展開一(小澤先生のお話しから)

まず最初に、いままでの重心施設が担ってきた役割を施設誕生の背景を通し、その経緯をも含めてお話しいただきました.

 北欧では従来、成人期における家庭からの自立の為に入所施設があり,その施設が充実した機能を果たせず、ノーマライゼーションによる脱施設化がおこり地域生活支援という発想が生じる。一方、我が国は成人期においても基本は家庭にあり、家庭での支援力の低下に伴い、消極的選択肢として入所施設が位置付いている為、北欧のようなダイナミツクな変換は困難であろう。
 具体的に重心の生活支援を考える時、入所施設かグループホームか、と単純に言い切れるものではなく、どちらにせよ、重心の特性である個別性をきっちり押さえた個別処理が大前提とされるべきである。その為にも障害区分のものさしの見直し等も含めた
新しい発想の入所施設のあり方が問われていくであろう。又、グループホームも、もっと試行的・モデル的に実践し検証していくべきである.そして時間をかけて家庭とグループホームをつなぎながら、段階的に移行形態を整え、人や組織・ハード面の充実をはかることで地域生活支援のあり方が鮮明になっていくのでは、と提言下さいました。
 
今回のお話しを聞きながら、日本の重心施策の貧困さを今更ながら痛感させられました.又、親として子供を抱え込み過ぎたな、と反省もさせられました。自転車操業的子育てを際限なく強いられてきた親への癒しは、親が元気なうちに、子供の生活支援の場の確保です。今回のキーワード「個別処遇」、この言葉は親の気持ちを端的に代弁されていると思います。二年度にわたる「大阪市の援護施設のあり方検討委員会」では、微々細々にわたり充実した内容が包括されていると聞き及んでいます。従来の入所施設のイメージを撃ち破り、新たな重心施設の登竜門とし我々が地域の社会資源と誇れる、そんな援護施設の到来を願い、住み慣れた街で気の合った仲間と気楽に住めるグループホームの散在を期待して止みません。          (岩田幸江)


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共に生きる子の思い・親の思い(会員の声)
「医療費助成」は命の綱 ...松田 薫  

 私の娘は出生時の問題で脳の大半の部分に損傷を受けました。寝たきりで乳児期前半の発達段階ですが、私達は娘に楽しい人生を送って欲しいと願っています。今年から経管栄養になり、無理のないぺースで大好きな養護学校生活を楽しんでいます。そんな我が家に切実な問題が生じています。大阪府が財政難を理由に「重度障害者医療費助成制度」の見直しを考えているのです。娘は障害があるが故に病弱で、入退院を緑り返し医療の助けを借りて生きています。医療費を助成してもらっても、入院費や通院のタクシー代、在宅医療機器の消耗品代等だけで、年間数十万円以上もの支出がある我が家にとって、この制度は大変有り難いものでした。「支える会」から前知事に対して医療費助成制度を現行のまま存続してもらえるように嘆願書を提出しています。しかし、私達が望む回答は得られておらず、私はこれからも粘り強く訴えていきたいと考えています。
 重症心身障害者であっても、障害の種類や程度が異なると社会福祉に対して求める内容も異なるでしょう。私の娘のような状態では、費用を心配すること無く医療機関を受診できることこそが、社会福祉に対して最も求めていることです。幸い、「支える会」には「最も弱いものをひとりももれなく守る」というスローガンがあるので頼もしく感じています。私も「支える会」と共に、最も弱い障害者が幸せに暮らせる社会を作っていきたいと思います。
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福祉と教育と医療...向井 裕子...二時間おきの導尿が必要な娘と共に

 身体的に重度の先天異常を持って産まれた娘は、二歳頃までに知的な遅れや難聴、神経因性膀胱などの症状も出てきました。一歳半から、障害児通園施設に母子通園し、三歳半から近くの市立保育所に通い、現在は、市立小学校の一年生です。ひとりでは座位もとれず、会話することもできませんが、友達が大好きな子ですので、毎日、楽しそうに登校していきます。身体的・知的なハンディキャツプは、病気ではありませんから、工夫をしたり周りに助けてもらったりして、地域の中で暮らしていくことができそうだと思っています。現在、一番問題なのは、神経因性膀胱です。これは、排尿を自分でコントロールできない症状です。娘の場合、尿が膀胱に多く溜まるために腎臓に障害がでます。そのため、昼間は2時間おきに導尿をし、夜間は留置カテーテル(尿パツク)を付けています。導尿というのは、カテーテル(細い管)を使って膀胱から尿を出してやる行為で、「医療的ケア」のひとつとされています。「医療的ケア」とは、継続的に必要なために医師の指導の下に患者や家族が行うよう委ねられた行為の事で、治療などに伴い医師や看護婦が行う「医療行為」ではありません。
 
 娘が、導尿を始めたのは、保育所に通っていた四歳の時でした。保育士は「医療的ケア」をしてはならないと市で決まっていたようです。私は、二時間おきに保育所に通うことになりました。大切な娘の体を守るために、母は、どんな労力も惜しまぬ思いを持っています。でも、体力には限界があります。区役所と保健所に相談に行きましたが、利用できる制度
はなく、保健婦や福祉担当者は、障害児.者を抱える家族の医療的ケアの状況を把握していないようでした。区ボランティアピューローにもポランティア募集をお願いしましたが、断られました。そこで、訪問看護ステーションに行きました。子どもでも訪問してくれるとの事で、週に2日の利用をすることにしました。訪問の看護婦さんと私とが保育所に通うことで、娘の「普通の生活」は保つことができました。しかし、私は、時計とにらめっこの生活でした。それは、小学校に入った今でも続いています。夜は継統した睡眠がとれない娘の介護のため一晩たりとも充分な睡眠はとれず、その上、昼間も二時間おきに導尿に通っていては身体がもちません。二年前から周期的にひどい頭痛が始まりました。身体の筋肉が休まる時間がないので肩こりがひどくなったためと診断されました。充分な唾眠をとったり、マッサージに通ったりすれぱ治るものですが、それができずに、仕方なく鎮痛剤で抑えて導尿に通います。身体的に辛いと精神的にも辛くなります。私が導尿に通えなくなれぱ、義務教育だというのに、娘は学校に行くことができなくなります。
 大阪市の養護学校では、学校全体で医療的ケアに取り組んでいるようです。娘が養護学校に行けぱ、私は昼間の導尿から解放されるかもしれません。でも、導尿を誰がするのかは、大人の都合であって、子どもの学校選択に関わるものでないと、私は思っています。大阪市では、多くの障害児が地域の学校に通い、当人だけでなく回りの児童へも良い影響を与えています。多くの小学校や保育所には、保健婦どころか看護婦さえ配置されていません、小学校では、一部の教師の善意や熱意によって医療的ケアが行われているところがあります。しかし、障害の重さに関係なく養護学級数によって教師の数が決められているようで、複数の障害児を一人の教師が抱えているのが現状ですので、教師の負担の大きさは大変なものです。子どもとその親が選んだ学校で、教育を受けることのできる体制を整えて欲しいと願ってます。
 
 娘の排尿行為が導尿というだけのことなのに、それが、「医療的ケア」という言葉で制約を受けています。なぜ、「患者や家族」と制限されているのでしょう。私は、医療の専門家ではありません。家族にできるのなら介護者
にだってできるはずです。保育士や教師にだってできると思います。医師が家族以外でもOKと許可を出しても、行政が許可しない場合も多いようです。教育現場が拒否する場合もあるようです。排泄という生活行為なのに「医療」と名がつくから敬遠されているのでしょうか。でも、医療というのは、人々の日常を支えるものではありませんか?「医療行為」も、往診や訪問看護など病院内だけのものではありません。家族だけに課せられた「医療的ケア」の大変さを行政や医療関係の方々はご存知でしょうか。地域による子育てが言われる一方で、昔からの自助の風習が根強く残っていることを感じています。導尿が単な5る行為として、理論や法のこととしてとらえるのではなく、子どもの命と生活を守るために必要なものと理解していただきたいと思うのです。
 かわいい我が子を育てながら心豊かに暮らしたい、という親のささやかな願いをかなえて欲しいと思います。家族や友達の中で暮らしたい、という子どものささやかな願いをかなえて欲しいと思います。福祉と教育と医療とが連携をし、障害児とその家族の暮らしを支えてくれることを願っています。

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大阪市だより
重症心身障害児・者の暮らしのあり方と現状について考える研修会」(全三回)
助成 大阪コミユニテイ財団(日産化学大阪福祉基金)

 現在、重症心身障害児・者のための制度は福祉の谷間ともいうべき状況におかれ、医療的なケアを必要とする方々を始め重症心身障害児・者にとっては地域の中で普通に暮らしていくという、ごくごく当たり前のことが決して当たり前ではなく、その家族の負担も含め途方もなく厳しい状況にあります。そうした重症児・者の暮らしに焦点を当て、医療、福祉、教育等横々な社会資源の活用とその実践を通して、ノーマライゼーションの基盤構築に繋がるべく研修会を企画しました。

第一回研修会
講獅   西宮市重症心身障害者通所施設   
青葉園園長 清水明彦様
テーマ  「重症心身障害児・者への生活支援の実践を通して」

 七月十日、「早川福祉会館」に於いて第一回目の研修会が実施されました。
 いつもながらパワフルな清水園長に圧倒されながら、一語一句聞きのがすまいと、参加者一人一人の真剣な眼差しが一点に集中されていました。

「温かい思いが、成せる業」
 清水園長のお話しを伺ったのは三度目でした。お話しの内容が以前と重複したものであっても、その度ごとに新鮮に感じるのは、問題
点もきれい事の言い回しではなく、率直で直線的な表現をされる園長の話し方にあるように思えます。「青葉園」には見学させていただいたこともありますが、日中の様子しか拝見できませんでしたので、今回、スライドを見せて頂いてグループホーム等の活動の様子もよくわかりました。「青葉園」には、いろいろなシステムや取り組みが揃っているように簡単に思ってしまいますが、二十年という長い月日の中で模索と試行錯誤の繰り返しの連続で出来上がったものだと思います。主導者が保護者でないこと、人口五十万人足らずの中都市であること、そして何より"ふ西宮が大好き”という皆さんの温かい思いが.なした業だと思います。
 子供たちにとってもよりよい環境を整えていく為に、「同じ様なものを大阪に」という努力をしていかなけれぱと感じました。     田所千景

第二回研修会
講 師 大阪市立総合医療センター  小児神経内科部長 富和清隆先生
テーマ 
「重症心身障害児・者の生活とパートナーとしての医療」

 七月二十六日、「育徳コミュニティセンター」に於いて、第2回の研修会が実施されました。
 会場に入りきれない程の方々にお集まり頂き、熱心に耳を傾けておられる姿を見て、今更ながら医療への関心の深さに驚かされました。又、午後の懇談会のひと時も、有意義なものとなりました。

「暮らし(人生、生命)が第一」

 先ず、先生の経歴を紹介された後、今回のテーマであるパートナーについてふれられ、子供の生活を支える暮らし(人生、生命)が第一で、日々、身近にいる介護者・両親、兄弟である家族がパートナーであり、医者はスポツトをあてる役割りであり、応援団でしかないと思うと述べられました。
 平成八年に実施された大阪府下の肢体不自由養護学校十五校の在籍者の保護者に対してのアンケート調査で”脳性麻痺”が七〇〇人中最も多いという結果でした。脳性麻痺児の生活史を考えると、医療から療育(リハビリ)、教育、卒業後は社会参加(労働)と生活の手
段の力点が変化するが、それぞれの役割りが無くなることはない。
 
 健康面では、年齢やいろいろな要素によって成長に伴う新たな二次的障害が起こる。例えぱ、側湾の進行(背骨が曲がってくる)、あごの発達の遅れで摂食障害、排痰困難、経管栄養、吸引等が年瀞とともに増加し、医療需要の増加につながる悪循環をたち切る専門的診断が必要であり、日々の観察がいかに大切かをお話し下さいました。主介護者である母親がパートナーであるとしたら責任重大な立場にある訳で、私など準備不足ではなかったかと反省しきりで、頷きながら聞き入っていました。
 武史の場合ですが、二次的障害が起こったのが十九才の時でした。食事中、何かしら喉につまりやすくなり、痰がからみだし、生活を維持するために継続的に濃厚な医療ケアを要する状態になるまで一年もかかりませんでした。二十才で超重症児となったのです。超重症児という一定の状態に到達するまでの間の方が医療的にも、肉体的にも遥かに変動が激しく、入退院の燥り返しでした。
 むしろ、今、超重症化してしまってから比較的に安定した生活が可能になり、術後から、現在までここ十年一度の入院もなく、在宅で生活しています。しかし、一つ断ち切っても、やがて、次の段階で悪くなった時、医療機関の受け入れがとっても厳しいのが実情のようです。市立総合医療センターでもベツドはいつも満床との
事でした。(小児科のベツドはどこの病院もいっぱいとのことです)
 医療レベルが高くなって、長生きできる人が増えてきました。今後は、在宅の人たちがいつでも頼ることのできるような医療システムを考える必要があると思います。障害児・者にも人間ドック的健康チェックも必要で予防の介護もつくっていかなくてはいけないと述べられる先生のお話しに感銘を受けました。
 
厳しい状況のなかで身動きもとれず、言いたいことも言えず、食事も喉に通らないほどなのに、笑顔を見せてくれる.....。命というものは周りの人々とのつながりの中で存在し得るものだと深く感じ、すごいことだと思います。
  今日があるのも、スポツトをあててくださ
り、そして強い応援団である諸先生方のお陰と心から感謝しております。
  日頃一ケ月に一度の診察日には、待つこと数時間でも、いざ診察室に入ると数分です。個人的な悩みや相談など余裕がありません。今回は、講演の後も昼食をとりながらの懇談の時間まで設けてくださって、貴重な時を私たちに提供して下さりありがとうございました..           江藤信子

「生活を支える応援団として」

 富和先生の講演は、これまで何度か拝聴しており、その度に障害児・者をひとくくりにするのではなく、それぞれの障害程度をしっかり見極め、先を見通した医療に携わっておられる様子がひしひしと伝わってきます.
  .私も含め親は、医師もパートナーと思っている部分が大きいように思いましたが、先生から「医療と教育は生活を支える手段であり、パートナーにはなれない。しかし、生活を共有しそれを支えるパートナーの一員が医師・看護婦・教師である」と心強いお言葉を頂き、本当にそのとおりだと思いました。
  先生は、「まず教育の場から医療的ケアがきっちり出来るように、またそうならなけれぱいけない」と言われました。この事が教師全体に浸透することを願っています。娘は、養護学校中学部二年在籍ですが(胃ろう経管栄養・吸引が必要)、これまで教師の中には「医療的ケアは、今は担任なのでするが、教師の仕事の範囲ではないと思っている。研修・実習と行かなけれぱならない時、誰が保障してくれるのか」と言われ、唖然としました。医療的ケアであるが、生活をしていく為には必要な行為(生活行為)と親は思っているし、手順通りに行えぱ危険な事はなく、本人は体が楽になり授業や活動がスムーズにこなせる
ようになります。障害児教育において、特に肢体不自由児の医療的ケアは避けて通れないのではないでしようか。子どもにより摂食の仕方で誤の危険性を生じ注意が必要な場合があります。実質的な医療的ケアをしなくても、命に関わったりするので、体の仕組みを知っておかなけれぱならないということでは、これも医療的ケアに入るのではないでしょうか。先生が勤務されている総合医療センターでは、障害児のQOLを高めるために、障害児の健康・養育・教育上の問題を、入院生活の場で主として医療的側面から評価検討し、関係者が患者家族と共に問題解決のための処方を見いだすこととして、障害児ドツクという先駆的なことを試みておられます。
 
 先生は、「学校での技術面・体制作り、校医を含めた医療機関・医師会・保健所等のパックアツプ体刷の必要性などが今後の課題である。地域で生活している以上、一般の小児科医師にも役割があり、障害児・者を診察できるようにならなけれぱならない」と訴えられました。そして、
十八歳以上の障害者医療の受け皿が少なく、社会問題になりつつあること。「我々は、パートナーではなく応援団であり、支える会・親たちからも我々の応援団であって欲しい」と言われ、私達は、当事者としてもっともっと行政に訴えていかなけれぱならないと痛感しました。
 最後に先生は、重症心身障害者が地域生活をして行くうえで、「生活が楽にできるように予防の介護、理論より技術・サーピスが求められ、意欲のある延べの人数の確保が在宅支援を支えていき、意気込みのある活動的な施設が出来ることを望んでいる」と結ぱれました。  吉村志津子

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強度行動障害部会より
テーマ 「行動障害に対する施設での取り組みについて」を拝聴させていただいて。   佐野正博

 支える会が課題とされている「強度行動障害の予防」(早期の段階で家族に対して専門的なアドパイスや療育相談に応じることで、強度行動障害に至らしめず、未然に防ぐ療育のあり方を、児・者一貫して行うシステムの研究)について、実践施設の内容を伺う機会を提供していただきました。

 「萩の杜」といえぱ、自閉症の方々に対し、専門的な取り組みをされている施設。私どもの施設にも行動障害を示される方も居られ、昼下がりの唾魔と戦いながら、拝聴させていただきました。
 私の耳が聴いた、講演の内容を掻いつまんでみますと…

★限られた職員体制の中でどの様に援助するのかではなく、利用者の障害に合わせて、施設ぐるみ、員ぐるみで援助しなけれぱ結果につながらない。

★行動障害は、人との関係と環境によって「作られてきたもの」であり、『どのよう
な行動が、どのような場面で起こり、どのような対応をしたら、どのような結果になったか』ということを分析し、原因を明確にして解決を図る必要がある。

★行動改善の為には、一時的に入院可能な医療との連携が必要である。

★施設における様々な活動を、小グループ(一〇名程度)で実施することで、活動の構造化を図る。

★生活支援職員と、作業支援職員に分け、職員配置を構造化することで担当がはっきりし、価別援助プログラムが取り組みやすい。

★自尊心を持てる援助が大切であり、その実施の為には、利用者の役割を明確にした援助を行うことである。

★構造化という点では、一般社会のほうがはるかに構造化されており、施設内の構造化や社会化が必要である。

★児童期▽成人期▽就労期等に至る中で、今まで一連の成長段階に応じた対人援助の連携がとりにくい社会構造であったが、今後は、連携の方法を探り、連続的な援助が出来る環境が必要である。
等、以上のような内容であったかと思います?
(講師の松上先生へ、聞き漏らしが多くてすみません!謝罪)

 講演の内容は、参加者それぞれの立場で受けとめるポイントが違うと思います。私は、施設職員という立場で話しを繋ぎ合わせていくと「個人の特性を職員が科学的に分析・理解して、利用者のスタンスに合わせたサーピスを、施設の枠や慣例にとらわれず、いかに提供できるか」という、当たり前でいて重い宿題を頂いたように思えてなりません.

七・五人に一人、という員配置基準の現実の中で、職員ぐるみって言われたって…。小グループ…本当に!その通りです・・・。生活と作業担当者を分ける一・・まさしく
(参加されていた施設員の多くが胸中で唱えたお題目?!?!?)おっと!(誰か?の.心の)口が滑った声が聞こえたような…。
 私!
 めっそうもない、一応主任ですから、これっぼっちも思っては...

 現在、私の勤める施設では、施設として個人のケアプランを作成しています.まだまだ試行段階ですが、個人のケアプランをどう施設活動や集団活動と結びつけるか、いや、別の角度とするのか難しい課題です。
 課題と宿題は、何処か共通点があるようです。佃人と集団、行動障害を示す方と集団、
精神障害を併せ持つ方と集団、ケアプランと集団、集団という施設に居るだけに、重たくのしかかって来るのですー.
 障害者それぞれの今までの人生を振り返り、目の前に居る障害を持った息子や娘の全てを、ご両親やご家族と共に、職員も含め心から認め合いましょう。施設にいて思うことですが、ご家族の今までのご苦労の中で、過保護に、過干渉に育てられたことを、職員は、その立場で「分かりますけれどね」などと言いますが、これは親としての自然の慈愛、当然のことと思います。

 私は、この研修に参加させて頂いて、初心に戻れた思いがしました。もっと利用者の方々に近づかなけれぱ、もっとご家族の気持ちを察しなけれぱ、ありのままを受け入れ、利用者の本当の声に耳を傾けなけれぱ本当のサーピスにはならない。
 本当のサーピスは、心の苦痛が伴ってはいけないのだから・・
 そして、これからの本当のサーピスって何
、,、一緒に考えましょう!
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《お知らせ》
 大阪に二つ目の【重症心身障害児施設」が建設中です。申し込みは各地域のこども家庭センターに問い合わせて下さい。
 皆様に"良い施設が出来た"と喜んで頂ける施設に成長することを願っています。「社会福祇法人四天王寺福祉事業団」が運営されます。
 何度か事業団と話し合い、隔離・閉鎖された施設ではなく、地域社会に開かれた、地域に住む障害者が気軽に利用できる「ショートステイ」をはじめ色々な機能を持った施設にして頂くようお願いしています.

 重症心身障害児施設「和らぎ苑」
開設準備室 富田林市向陽台1−3−20
電話 0721−29−0320
開設予定 平成13年4月1日
定員 100名・ショートステイ事業10名・重症心身障害児通園事業A型(定員15名)
外来診療(診療科目)内科・小児科・整形外科・外科・精神科・歯科

 今後利用される保護者の方々と連絡を取りながら、重症心身障害・者の福祉に永年取り組んで来た全国重症心身障害児(者)を守る会の歴史と実践を生かしていきたいと思っています。

いろいろな人と出会いました

この2ヶ月ほどでいくつもの集まりに参加し、多くの人達と出会いました。
◇6月10日 大阪国際会議場 「日本小児神経学会公開シンポジウム」
◇7月15日〜16日 川崎医療福祉大学 「日本発達障害部会」
◇7月31日〜8月2日 コスモスクェア国際交流センター 「全国訪問教育研究会全国大会」

 お会いした方々、ご指導頂いた方々、勉強した,ことなど詳しくご報告せねぱと思いますが、紙面の都合もあり省略します。
 「医療」「教育」「福祉」に携わり,日々私たちの子供達のためにご尽カいただいておられる方々が常に切磋琢磨されておられる姿に接し、本人は勿論親・家族も多くの人々に支えられていることを実感しました。

◎各界の人達が一堂に会し、お互いに連携し協力していけるシステムが出来ることを願わずにはおられません.ぜひ、会員の皆様も参加されますよう.「支える会」に事前にお知らせするよう努力いたします。   今井

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