支える会報第33号の主な内容..平成15年2月15日発行
「福祉施策の大きな転機を迎えて」( 会 長 鈴 木 祥 子)
新たな年明けを寿ぐ間も無く、重症心身障害児者を介護する方々は怒りと失望の日々を迎えておられるのではないかと案じております。
新年にあたり、おめでたい言葉をと筆をとりましたが、経済状況の好転のきざしも見えず、地方の時代と言いながら、自治体は財政難を理由に国の福祉施策をそのまゝ受け、独自の発想で積極的に実施していこうという姿勢はあまり無いように見受けられます。
支援費制度のねらいは「利用者のニーズが自由に反映できる弾力的な仕組みにしよう」ということであったはずです。重症心身障害児者は、医療のケアも必要であり、ニーズの多様化と共により高度な専門性が要求され、この制度の中心に据えられるべき人たちではないでしょうか。にもかかわらず「重症心身障害児者」のカテゴリーは無く、身体障害者のサービスと知的障害者のサービスの両方を受けられるということですが、実際は利用時間の制限を打ち出してきています。
「サービスのメニューが乏しい!質の確保も・・・」と不安ばかりが募りますが、重症児者を家族の中で抱え、多忙な日々でも自らの力で支援事業を展開し、確かなものを作っていこうとしている方々もいます。在宅の重症心身障害児者が圧倒的に多い大阪にあって、地域で支え合うための希望の光が一つでも多く増えていくことを願わずにはおられません。
今年も皆様のご支援と叱咤激励を受けながら障害児者の福祉の向上に努めてまいりたいと思っています。
「近畿ブロック研修会」に参加して 西 川 美 幸
「生活の質と向上を目指して」というテーマで、守る会近畿ブロック研修会が1月18日(土)開催されました。最近の支援費がらみの国の動きの中で、その事にも関連した研修会になりました。
近畿ブロック長・山中伸一氏の開会挨拶では、
@地域療育等支援事業や市町村障害者生活支援事業の国庫補助が来年度打ち切られ一般財源化される。
Aホームヘルプサービス等、居宅支援に関して個人の支給量に上限を設ける方向になってきている。
B国立療養所の独立行政法人化。
等の話がされました。
@の支援センターに関しては、一般財源化される事で、センターの存続自体が危ぶまれる状況となってきています。地域生活を続ける上で支援センターは大きな役割を担っています。個人と社会資源を結びつけたり、必要な社会資源を創り出していくなど、障害者の地域生活にとって欠かせない存在です。その存続が危ぶまれている状況は、障害者の地域生活のあり方に大きく影響すると思われます。
Aの居宅支援の支給量に上限を設けるという事は、今まで国が言ってきた事とまるで反対の方向です。しかも、その上限の目安が、(今現在の情報によると)かなり低い水準におさえられてきています。もともと重症心身障害者に対する居宅支援はほとんど何も考えられていない(医療ケア・介護の困難性など)と感じていましたが、その上、上限を設けるとなると、地域生活を支えていく事が可能なのかと思います。家族の介護で日々暮らしている方達ですが、その家族の介護を支えていくことすら難しいと言わざるを得ません。
午後は「重症心身障害児(者)のケアマネジメントを通してみる地域生活の課題」というテーマでびわこ学園の遠藤六朗氏の講演がありました。
先の山中氏が話された状況の中でも地域生活をすすめていかなければならないこと、又、重い障害の人を地域で支えることを具体化する上で、重症心身障害児者の地域福祉のあり方、重心施設のあり方がどうあるべきかを考える必要があるということでした。
又、重症児者のニーズについて「医療ケアの必要性や、介護に関する固有の専門性が必要である」「医療ケアについて、看護で行うのか、あるいは、できる要件をグレードアップして介護サービスの中で認めていくのか、という方向性についてこれからどうなっていくのか」というお話がありました。
私自身、いろいろと考えさせられました。どんなに障害が重くとも地域で暮らしていくことが可能な社会になる事を望んでいますが、その中で重症児施設は「核」になる役割が必要になってくると思われます。今までの入所機能だけでなく、専門性を生かしながら、地域支援をして頂きたいと思っています。そして、そういう活動ができる制度の裏づけをして欲しいと思います。地域支援に対する評価をもっと高くしなければ地域支援が(経済的に)成り立つ基盤がつくれないのではないでしょうか。
重症児者の医療ケアに関しては、医療の分野(訪問看護等)で行うサービスと、特別に基準を設けた介護サービスの両面で考えていく必要があるのではないかと思われます。どこからどこまでを医療で(あるいは介護で)という線引きをする際、どんな医療ケアも医療サービスの分野でというのは生活の連続性を考えると現実的でないように思えます。そうすると介護サービスで行う為の方策が必要になってきます。しかしこの事に関しては、それぞれ利用者側の考え方も大きく違っており難しい問題を含んでいます。一層の議論が必要な問題です。
研修会では在宅の家族の参加は非常に少なかったようですが、守る会・支える会には今後もより一層、在宅で介護を支えている家族や関係者の為に、地域生活を充実させる活動を続けて頂きたいと願っています。
「大阪府と懇談会実施!」
去る、一月二八日(火)府庁内で大阪府福祉担当部局、教育委員会担当者と本会員数名との懇談を行いました。 報告は次回の紙面で行います。
大 阪 府 知 事
齋 藤 房 江 殿
要 望 書
平素より、本会並びに重症心身障害児者の福祉に多大な御支援を賜り誠に有難うございます。
さて、平成15年4月より支援費制度が導入され、福祉施策の大きな転機を迎えております。「自己決定」を基本にした「選ぶ」ことのできる福祉が構築されることを多くの方々が期待する中スタートしようとしています。しかし、重症心身障害児施設は対象外ということもあり、その谷間にいる在宅の重症心身障害児者にとっては期待と同時に大きな不安を抱いております。
特別な配慮が必要な重症心身障害児者にとっては、サービスのメニューが非常に乏しいと感じるのです。自己決定をすることが非常に難しい方々にとって、身体介護だけではサポートはできないため、きめ細かいサポートが必要となります。その意味で、支援費の導入に際して、重症心身障害児者が必要な医療的ケアをはじめとするサポートについて下記について要望いたします。家庭の中で一日も休まることなく介護にあたっている家族の思いとひたむきに生きている重症心身障害児者のおかれている状況に何卒御理解を賜りますようお願い申し上げます。
記
・支援費について見守り介護が必要な重症児者が身体介護と日常生活支援(仮称)を併給できるようにして下さい。
・訪問看護を障害者のニーズや実態に応じて利用できるようにすると共に利用の際の自己負担を軽減してください。
・重症心身障害児者への対応ができるヘルパーの養成を積極的に行ってください。
・行動面での問題を抱える方のショートステイやヘルパー派遣に際して、専門スタッフの養成を積極的に行ってください。
・施設等の入所者が帰省等で帰宅した際のサポートをしてほしい。
・超重症児・準超重症児についての実態調査を行ってください。
・医療的なケアが必要な方が緊急時に利用できるよう医療機関と連携したショートステイを実施してください。
・養護学校及び養護学級の職員配置について、生徒の障害の程度や生徒数等に応じて加配をして下さい。
第15回こうさい療育セミナー
日 時 平成15年2月14日(金)
場 所 (財)鉄道弘済会総合福祉センター弘済学園
日 程 午前 日課支援・授業公開 9:30〜11:30
午後 シンポジウム 13:00〜16:00
テ ー マ
「強度行動障害への支援を振り返る−厚生科学研究の中間総括−」
シンポジスト
医療の立場から 中島 洋子氏(旭川児童院院長代理)
福祉の立場から 寺尾 孝士氏(社会福祉法人侑愛会星ヶ丘寮施設長)
福祉の立場から 三島 卓穂 (弘済学園第二児童寮寮長・指導課長)
教育の立場から 竹内 正幸氏(神奈川県立伊勢原養護学校訪問教育部
弘済学園主任)
コーディネーター 飯田 雅子(弘済学園園長)
詳しくは事務局まで
〒257-0006 神奈川県秦野市北矢名1195−3 弘済学園 第15回弘済療育セミナー係
TEL 0463−77−3222 FAX 0463−77−3225
NPO法人
大阪重症心身障害児者を支える会において居宅介護事業を実施!(予定)
本年4月より、特定非営利活動法人大阪重症心身障害児者を支える会として、支援費制度における居宅介護事業を行うことになりました。(指定申請中)
先ずは、阿倍野区、東住吉区、住吉区、平野区、中央区等事務局の周辺地域において身体介護、移動介護等を実施したいと考えています。御気軽にご相談下さい。
*電話・FAX番号は同じです。(担当者に転送される場合もあります。)
編 集 後 記
年末年始のあわただしさの中、重症児者を抱える親・家族の介護の負担の重さを改めて考えています。
子どもがいくつになっても親にとっては子供です。子の行く末を思いながらも自分の人生も歩んで行かなくてはなりません。 しかし、重い障害を持つ人たちとその家族にとってはとてもそんなことを考えられる状況ではありません。民法上の扶養義務があろうとなかろうと、どんなに子供の障害が重かろうと子どもを捨てたりはしません。ただ、障害を持つ子も、また、その家族にとっても自分らしく生きられるようなサポートが必要なのです。支援費制度の中に「重症心身障害」という言葉を見つけることが出来なかったことで、「また、忘れられてしまった」という思いを持ったのは私だけでしょうか。